魂送りの宵に 後編
「ただいま帰りました」
玄関から聞こえた声に祐太を抱いたセイが迎えに出る。
「お帰りなさいませ」
「遅くなってすみません。ちょっと幹部会の後で用があったものですから」
セイの肩を抱くようにして奥へと足を運ぶ総司の片手には布を掛けられた
四角い包みがある。
「それは?」
怪訝そうなセイの問いに総司が口元を吊り上げた。
「これは後のお楽しみですv」
「はぁ・・・」
何やら気になるが悪い気配はしないのでセイは首を傾げるだけで
それ以上問い詰めようとはしなかった。
満天の星が降るように輝いている。
月は天空高く鏡の如き清らかな光を放ち、小さな家の前庭を
仄かに照らし出していた。
夜になって涼やかな風が吹き抜ける中に、淡い水色で露草が描かれた
紺地の浴衣を身につけたセイがしゃがみこんでいる。
「まさか総司様が覚えていてくださるとは思いませんでした」
地で燃え上がる小さな焔に細いオガラをくべながらセイが呟いた。
「迎え火の時は夜番の巡察でいませんでしたしね」
少し申し訳なさそうな総司の声にセイが首を振る。
「お勤めですから、そんな事は良いのです。ただ不思議だな、と思っただけで」
「実はね・・・土方さんが」
「副長ですか?」
思わぬ人物の名が出たとセイが不思議そうに総司を見上げる。
「ええ。一昨日幹部会の日時を告げられた時に“送り盆の日に悪いな”って
言われたんですよね」
可笑し気に総司が続ける。
「きっとあの時の事を覚えてたんですね、土方さん。本当に優しいんだから」
あの時・・・それはセイが新選組に入隊して一年が過ぎた頃の事だった。
「てめえ神谷っ! 何してやがるっ!」
当時屯所としていた八木家の裏庭に土方の怒声が響いた。
ぼんやりと月に照らされた庭の隅に小さな焔が燃えていた。
傍らにしゃがみんでいるのは小柄な隊士。
焔の傍には細い棒で足をつけられたキュウリと茄子、つまりは精霊馬が
置かれている。
その隊士が何をしているかなど一目瞭然の事だった。
「隊では盆も正月もしねぇって決まりを忘れたわけじゃねぇだろうなっ!
どういうつもりだっ!」
浪士を狩り立て隊規に違背する者を粛清する。
鉄の規律の元に新選組という組織を確立しようという時に、小さな叛意であれ
許すことなどできぬと土方の怒りが増す。
「何とか言わねぇかっ!」
怒気を隠そうともせず振り上げられた土方の腕が後ろから掴まれた。
睨みつけるように振り返った先には小柄な隊士を何かと気遣う男の姿がある。
「お前が甘やかすからこんな勝手をするようになるんだ。どういう指導を
してやがる!」
つかまれた腕をもぎ放すように払った土方にセイが顔を上げて口を開いた。
「沖田先生には関係ありません。私の責です。申し訳・・・」
「神谷さん」
セイに向かい合うようにしゃがみこんだ総司が月代をポンと叩く。
「私に言ってくれれば良かったんですよ。そうしたら外出許可を貰って
壬生寺あたりに行ってできたのに・・・」
内緒でやったりするから・・・と困ったように呟く総司の言葉に
セイが顔を伏せる。
「どういう事だ」
土方が不快そうに問う。
「私や土方さんは姉のところや日野でやってくれてるはずですから気に
しませんけどね。この人には身内がいないんですよ。神谷さんが迎えて
あげなければ亡くなったご家族は帰る場所が無いんです」
俯いたセイの月代をそっと撫でる手が優しい。
「隊として盆をしないのは理解できても、家族を供養したいと思う気持ちは
当然ですからね・・・今回だけは眼をつぶってあげて貰えませんか?」
総司に見上げられ土方が視線を逸らした。
セイが迎え火を焚いているのを見た瞬間、隊で粛清された者への
供養だと思った。
それが自分に対しての非難だと感じたのだ。
けれど総司の言葉を聞けばセイの行為にも納得ができる。
未だ幼いともいえるこの隊士が、目の前で浪士に惨殺されたという
親兄弟を供養したいと思うのは至極最もな思いだろう。
頭ごなしに怒鳴りつけた事を少し悔やんだ。
それでもその気持ちを素直に口に出来ないのが土方という男でもある。
「これからは誰にも見つからねぇようにしろ」
むすりとしたまま、それだけ言い残して土方は背中を向けた。
「“これからは”って・・・ねぇ」
くすくすとその時の事を思い出して総司が笑いを零す。
セイも釣られて笑い出した。
「結局貴女が迎え火と送り火を焚く事は許しが出たような形になりましたものね。
まぁ、暗黙の了解という形でしたけど」
土方が見て見ぬ振りをする以上、誰も異論を挟みはしない。
むしろこれ幸いとセイに頼み事をする者までいたのだから。
「去年は祝言の後の忙しなさで、さすがに無かったみたいですけど・・・。
今年はどうです?」
総司の問いにセイが小さく笑って家の壁に立てかけてあったよしずを除けた。
そこには二十を越えるだろう精霊馬が小さな縁台の上に
所狭しと並べられていた。
「これは、また・・・」
眼を見開いて絶句する総司に向かってセイが困ったように微笑む。
「身内のいない者は私だけではありませんから。かと言って屯所で魂迎え
などをするのは憚りがありますしね。皆さんこっそりと持ち込んでこられて」
身内の供養は当然ながら、思わぬ難で命を落とした友や知人に対しても
何かをしたいと思うのは人情というものだろう。
けれどそれをする場が無いから隊士であった頃からこの時期になると
セイの元に精霊馬が持ち込まれていたのだ。
「だからって・・・こんなにたくさんの魂をこの家に受け入れるというのも」
さすがに総司が渋い顔をした。
それを見たセイが祈るように囁いた。
「ここは入り口で出口なんです。迎え火に呼ばれて現世に戻って来た魂は
この家からその方を呼んだ方の元に行かれ、再びこの家から送り火と共に
冥界へと戻られる。この家に残っているのは総司様と私の家族だけですよ」
その言葉に応えるように総司の腕の中の祐太が、中空を見つめて
きゃっきゃと笑う。
「おや・・・誰かがあやしてくれてるんですかね」
「兄上かもしれません」
ふわりとセイが微笑んだ。
忙しい日々の中では滅多に思い出に浸る暇も無いけれど、この時期くらいは
それぞれが先立った大切な人に思いを馳せる。
父を、母を、兄を思って瞼を閉じた。
「では、帰る方々へ私からも贈り物を差し上げましょうかね」
セイの腕に祐太を預け、一度部屋に入った総司が包みを抱えて戻ってきた。
帰宅した時に持っていた物だ。
そっと上に被せられていた布を除けると虫篭が現れ、その中がぼんやりと
光っている。
「・・・蛍?」
呟くような問いに総司が頷いた。
「幹部会の後で慌てて捕りに行ったので少しだけなんですけど・・・。
こんな送り火も良いんじゃないかなぁ、ってね」
薄闇の中でちらりちらりと瞬く蛍の光は幻想的な空間を彩る。
総司が虫篭の入り口を開けるとふわりふわりと中から蛍が飛び出しては、
庭のあちこちに仄かな輝きを燈してゆく。
明滅と共に浮かんでは消える風景の中に懐かしい面影が見えた気がした。
――― 父上、母上、兄上、セイは幸せです。見てくださいましたか?
胸の内で呟くと共に涙が滲んできた。
「あー、あー、あぅぅぅーーー」
腕の中の祐太が空に向かって手を伸ばす。
留まっていた蛍が一斉に空へと浮かび上がったからだ。
それは一時現世へと戻っていた魂が本来の在り処へ帰っていく姿にも見える。
ふわふわと舞い飛ぶ蛍があちらこちらへと消えてゆき、足元にあった
送り火も勢いを失って小さく燃え尽きようとしている。
どこか切ない思いで眼を伏せたセイの肩に優しい手が添えられた。
「貴女は本当に不思議な人ですよね。誰よりも逞しく強い人に
見えるかと思えば、時にこうして触れていないと
今にも消えてしまいそうなほど儚く見える」
「儚い? 私がですか?」
「ええ・・・」
先程庭に広がる蛍の明りの中に浮かび上がったセイが、ひどく頼りなく
儚く見えて総司の胸が震えたのだ。
大好きな大好きな兄である祐馬が迎えに来たなら、この人は自分達を
振り返る事無く、あっさりと一緒に行ってしまうのではないかと思えて。
今にも闇の中から祐馬が手を伸ばし、その小さな手を握り締めて
共に消えてしまいそうで。
けれど、そんな事は無いと信じているから。
いつもいつも自分が不安になるたびに、何があろうと何処までもずっと一緒だと、
心を偽る事など出来ないこの人が真摯な瞳で言ってくれるから。
少しだけ浮かんだ不安の影を蛍と共に解き放ち、愛しい人の肩を抱く。
「また来年もこうして過ごしましょうね」
それは滅多に先の事を口にしない男が、常に胸に秘める願い。
亡き人々を思ってほんの少し寂しくなっているだろう妻へと向けられた
不器用な夫からの気遣いの言葉。
セイには何より嬉しい言葉だ。
「・・・はい・・・」
寄り添う影に安堵したように、一匹だけ庭の隅に残っていた蛍が空へと舞い上がり
闇の中へ、すい、と消えた。
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